学校へ行っているときって、この勉強はいったいなんの役に立つのか? と、ずっと思いながら学校へ通っていたような気がするんですよね。でも、段々と年を重ねてくると、これはもうちょっと勉強しておけばよかったな、と思うことってけっこうあったりして。ただそれは、本当に自分が学びたいと思うときに学べるって、タイミングとしてあまりなくて…。
この桐分校の彼らは、普通の人が学校へ行っていたときに、何かしらの事情で学校へ行けなかった。そのことを一生、コンプレックスとして持っている。だけど、ある意味、普通に社会の中で生きていたわけです。単純に、学ぶということは、教科書を読んで何かを習得するということではなくて、やっぱりこう、人と人との中で何かを学び続けるというか。この桐分校の存在は、なにか深いような気がしました。
登場人物それぞれにものすごく複雑なバックグランドがあるんですけど、そんな男達が、この桐分校の生活の中で、ある種、中学生のようなピュアさを持って、卒業していくような気がするんです。人として持っている、原理的な喜びだったり、人とのつながりに目覚めるというか。その部分には、みなさん共鳴していただけると思います。
彼らは、学校を卒業して残りの刑期を終えたら、きちんと更生して、社会に出て行くと思うんですけど、ただそこで、それから先に豊かな社会生活が実現できるのか? 希望を持ったとして、その先に必ず明るい未来があるわけではないかもしれませんし、ドラマのエンディングも希望に満ち溢れたものではありません。でも人と人との係わり合いやふれあいの大切さという原則的な部分が、このドラマの骨にあるような気がします。
TBS 『塀の中の中学校』、プロデュース・演出: 清弘誠、脚本: 内館牧子
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