『養老孟司「無思想の発見」 ちくま新書』
『無思想の思想とは丸山真男のいう実感信仰である。しかし、それが駄目なのではない、有思想がとんでもないことは、アメリカの中東戦争がよく示しているではないか?』
ここでの有思想というのがいつの間には一神教になってしまっているのである。
『無思想の思想は仏教由来であろう。自分は「唯脳論」を書いたあと、「阿含経」を読んで、自分の書きたかったことと同じことがそこにあってびっくりした。お経では感覚世界を「色」という。概念世界は「想」「識」「意識」などといわれる。仏教思想とは「脳から見た世界」である。「日本の無思想」とはじつは般若心経みたいなものである。』
仏教は認識論である。認識は脳でする。ただそれだけのことではないだろうか?ちょっと養老さんはアブナイように思う。
『世間の人の多くは今ではサラリーマンとなった。それが困る。仕事という現実より会社という概念世界のほうが大事になってしまうからである。自営業が減ったことで世間が危うくなった。仕事は感覚世界=現実に根付いていなくてはいけない。概念の世界は危ういが、感覚の世界は危うくない。』
しかし、それをいっても仕方がないでしょうが、という気がする。自営業が減り、サラリーマンが増えてくることを逆転できるだろうか? 第一、サラリーマンはこんな本読まない、まさに思想と関係ない人たちなのである。
医者が作家やサラリーマンを見下している。。。世間知らずなのか、毎日治療したりしているうちに、自分が神に思えてきたのか。。。
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