曹操とは、良くも悪くも他人が真似の出来ない行動によって、天下を握りかけ、そしてとり逃した人物だ。
192年、かれは青州(いまの山東半島)にいた黄巾の大規模な残党と戦い、苦戦に苦戦を重ねて和議を結んだ。その中身というのが、黄巾側は降伏して身の安全を確保するかわりに、黄巾軍30余万の軍隊から選ばれた精鋭が丸々、曹操の配下に入るというものだった。
曹操が戦略の礎とし、自ら注釈も施した『孫子』には、こんな1節がある。
必ず全きを以って天下に争う(相手を傷めつけず、無傷のまま味方にひきいれて、天下に覇をとなえる)
当時、主要な英雄たちの多くは『孫子』を愛読していたが、曹操だけがこの理論をきちんと現実に活かしてみせたのだ。
敵と見れば叩き潰すことしか考えない他の武将たちに比べ、敵だったものを味方につけた曹操は、大きく勢力を拡大することに成功する。
魏武の強、これより始まる(曹操の強さは、ここから始まったのだ)
確かにこの軍事力こそ、曹操覇業の原点だった。
一方、これとほぼ同じ時期、曹操は自らの覇業を逆に掘り崩す振る舞いにも、手を染めている。
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