目の前でこれほどの原発事故が起こったのに、まだ「原発は安全だ」を繰り返す人たちがおられます。私たち(原子力関係者)は、何を間違い、どうしてこんなに多くの日本人の心と体を痛めたのでしょうか? 科学技術者は自ら好きなものを研究することができますが、それは多くの人に迷惑をかけないことが最低の条件です。これほど大きな災厄(心配も含めて)をもたらしたのですから、原子力の関係者はこの事実を真正面から見つめることから始めなければならないでしょう。「真実を見るには勇気がいる」(ダーウィン)たとえ、それが友人を失い、職を去らなければならなくても、科学者の誠実さはそこにこそあるからです。・・・・・・・・・第1に、「軽水炉」は「核反応が爆発的に起こる」ことが「自律的に防止」できると思っていたからです.第2に、若干の誤解をもたらすかも知れませんが、簡単に言うと「崩壊熱を忘れていた」ということ、そして、第3に、「技術は事故が起こることを考えておかなければならない」ということを忘れていたこと、に集約されると思います.そして、知識もあり分別もある人たちが、こんな簡単なことを忘れた深層の理由は、1) 自分たちは偉い(判断力がある)と思っていた、2) 国の支援を受けていた、3) 原子力村の利権にまみれていた、を上げることができるでしょう。・・・・・・・・・原子力発電の危険性は1にも2にも「放射性物質が漏れる」ということにあり、それを防ぐには「核爆発」を防止すれば良い、それがもっとも大切なことだという考えは、私も含めてほとんどの原子力の関係者が強く「信じて」いたことです。私は日本原子力学会から、個人では始めて「原子力平和利用特賞」という輝かしい賞をいただき、それを誇りにしていました。原子力は平和目的で利用すれば人類に貢献できると信じていたのです.また栄誉ある賞をいただいたのだから、なにか原子力に貢献したいと思っていましたが、それがこんな形になろうとは私の知識も判断力も貧弱なものでした。・・・・・・・・・やはり「軽水炉の過信と崩壊熱の軽視」が第一の原因でしょう.発電用に使うウランは、燃料となるウラン235が3%から5%ぐらいしかありませんので、容易に爆発はしません。広島などで使われる爆弾には90%のものが用いられますし、「20%以上の者を兵器用」と言われているのです.でも、「水」があると低いウラン235でも爆発します。だから「水を減速材に使う軽水炉」というのが誕生したのですが、しかも「水」は反応が暴走し始めると蒸発して泡が出来、中性子を減速しなくなるので、そこで反応が止まるという特徴もあります。この水のもつ余りに素晴らしい性質に目が奪われ、水を使っているなら大丈夫だという錯覚が生まれたのです.人間はある錯覚にとらわれると、そこで思考が停止して、「軽水炉は少しの放射性物質は漏れるかも知れないが、チェルノブイリのようなことにはならない」と信じ込んでしまったのです。誤解の無いように、全体像を示しますと、原子力の世界では今回のような事故を「シビアー・アクシデント」と呼んで、警戒をし、研究もしてきたのですが、どこかに「軽水炉はそんなことにはならない」という甘さもありました。「核爆発」にとらわれて「崩壊熱によって水素または水蒸気爆発をして、それまでに炉内にあった放射性物質が大量に漏れる」ということに考えが到らなかったのです.・・・・・・・・・そして、今でもまだ多くの原子力技術者は思い至っていないのですが、「技術はどんなに信頼性が高くても、事故が起こることを想定しておかなければならない」という基本中の基本を忘れたか、あるいは考えたくないとしていたのです。原発が事故を起こして、レベル7になっても、原発からでる放射性物質を巨大なフィルターを持った「放射性物質吸いとり器」でとったり、素早く多くの人を待避させたり、田畑にビニールシートを貼ったり出来たはずです.若干の被爆者を出しても、すぐ健康診断をして防護措置を講じれば、放射線の障害も減らすことができます。でも、現実は正反対になってしまいました。責任回避を狙った政府は、こともあろうに「健康に影響がない」と繰り返し、原子力の推進をしてきた学者も口をそろえました。ヒコーキが墜落して、負傷者が苦しんでいたら、一刻も早く病院に運ぶのは当然ですが、「キズは大したことはない、化膿することもない」などといって放置していたのと同じ結果になりました。・・・・・・・・・すべては準備不足でしたし、すべては判断が甘かったのですが、今でも同じ状態が「もんじゅ」も、他の軽水炉(原発)も続いているのに、どうも準備が始まりません。地震や津波、そして洪水、想定外の竜巻や落雷など自然災害も多く、決して毎日が何も起こらないわけではありません。そしてそれは明日にも来るかも知れないのです。なにをしているのか?と私はいぶかしく思います.専門家、自治体、そして電力会社は全力で「次の原発災害」の防止に取りかからなければならないでしょう。また、「2度と起こらないだろう」などと思っていると、同じ事になります。
目の前でこれほどの原発事故が起こったのに、まだ「原発は安全だ」を繰り返す人たちがおられます。
ReplyDelete私たち(原子力関係者)は、何を間違い、どうしてこんなに多くの日本人の心と体を痛めたのでしょうか? 科学技術者は自ら好きなものを研究することができますが、それは多くの人に迷惑をかけないことが最低の条件です。
これほど大きな災厄(心配も含めて)をもたらしたのですから、原子力の関係者はこの事実を真正面から見つめることから始めなければならないでしょう。
「真実を見るには勇気がいる」(ダーウィン)
たとえ、それが友人を失い、職を去らなければならなくても、科学者の誠実さはそこにこそあるからです。
・・・・・・・・・
第1に、「軽水炉」は「核反応が爆発的に起こる」ことが「自律的に防止」できると思っていたからです.
第2に、若干の誤解をもたらすかも知れませんが、簡単に言うと「崩壊熱を忘れていた」ということ、そして、
第3に、「技術は事故が起こることを考えておかなければならない」ということを忘れていたこと、
に集約されると思います.
そして、知識もあり分別もある人たちが、こんな簡単なことを忘れた深層の理由は、
1)
自分たちは偉い(判断力がある)と思っていた、
2)
国の支援を受けていた、
3)
原子力村の利権にまみれていた、
を上げることができるでしょう。
・・・・・・・・・
原子力発電の危険性は1にも2にも「放射性物質が漏れる」ということにあり、それを防ぐには「核爆発」を防止すれば良い、それがもっとも大切なことだという考えは、私も含めてほとんどの原子力の関係者が強く「信じて」いたことです。
私は日本原子力学会から、個人では始めて「原子力平和利用特賞」という輝かしい賞をいただき、それを誇りにしていました。原子力は平和目的で利用すれば人類に貢献できると信じていたのです.
また栄誉ある賞をいただいたのだから、なにか原子力に貢献したいと思っていましたが、それがこんな形になろうとは私の知識も判断力も貧弱なものでした。
・・・・・・・・・
やはり「軽水炉の過信と崩壊熱の軽視」が第一の原因でしょう.
発電用に使うウランは、燃料となるウラン235が3%から5%ぐらいしかありませんので、容易に爆発はしません。広島などで使われる爆弾には90%のものが用いられますし、「20%以上の者を兵器用」と言われているのです.
でも、「水」があると低いウラン235でも爆発します。だから「水を減速材に使う軽水炉」というのが誕生したのですが、しかも「水」は反応が暴走し始めると蒸発して泡が出来、中性子を減速しなくなるので、そこで反応が止まるという特徴もあります。
この水のもつ余りに素晴らしい性質に目が奪われ、水を使っているなら大丈夫だという錯覚が生まれたのです.
人間はある錯覚にとらわれると、そこで思考が停止して、「軽水炉は少しの放射性物質は漏れるかも知れないが、チェルノブイリのようなことにはならない」と信じ込んでしまったのです。
誤解の無いように、全体像を示しますと、原子力の世界では今回のような事故を「シビアー・アクシデント」と呼んで、警戒をし、研究もしてきたのですが、どこかに「軽水炉はそんなことにはならない」という甘さもありました。
「核爆発」にとらわれて「崩壊熱によって水素または水蒸気爆発をして、それまでに炉内にあった放射性物質が大量に漏れる」ということに考えが到らなかったのです.
・・・・・・・・・
そして、今でもまだ多くの原子力技術者は思い至っていないのですが、「技術はどんなに信頼性が高くても、事故が起こることを想定しておかなければならない」という基本中の基本を忘れたか、あるいは考えたくないとしていたのです。
原発が事故を起こして、レベル7になっても、原発からでる放射性物質を巨大なフィルターを持った「放射性物質吸いとり器」でとったり、素早く多くの人を待避させたり、田畑にビニールシートを貼ったり出来たはずです.
若干の被爆者を出しても、すぐ健康診断をして防護措置を講じれば、放射線の障害も減らすことができます。
でも、現実は正反対になってしまいました。責任回避を狙った政府は、こともあろうに「健康に影響がない」と繰り返し、原子力の推進をしてきた学者も口をそろえました。
ヒコーキが墜落して、負傷者が苦しんでいたら、一刻も早く病院に運ぶのは当然ですが、「キズは大したことはない、化膿することもない」などといって放置していたのと同じ結果になりました。
・・・・・・・・・
すべては準備不足でしたし、すべては判断が甘かったのですが、今でも同じ状態が「もんじゅ」も、他の軽水炉(原発)も続いているのに、どうも準備が始まりません。
地震や津波、そして洪水、想定外の竜巻や落雷など自然災害も多く、決して毎日が何も起こらないわけではありません。そしてそれは明日にも来るかも知れないのです。
なにをしているのか?と私はいぶかしく思います.専門家、自治体、そして電力会社は全力で「次の原発災害」の防止に取りかからなければならないでしょう。
また、「2度と起こらないだろう」などと思っていると、同じ事になります。