今回考えておきたいのは、米国が原子爆弾を投下するに至ったほんとうの理由のことである。
先にのべた、戦争を終結させるため云々は、やはり真実を大衆に覆い隠すための口実に過ぎないと考える。当然、その他にもなにか別の理由があったに違いなかろうう、と。
それはおそらく以下の二つで、
まずは、対ソ連戦略である。当時の米国にとって最大の脅威はソ連であった。そうしてそれに対抗できる最も有効な手段が核を保有すること。しかし核兵器の実験データをいくら誇示してみせたところで、相手に与える脅威は極めて希薄であるに違いない。つまり米国は、広島・長崎でその実績を作ることで、ソ連に対し圧倒的優位に立とうとしたのである。
もうひとつは、これは大変恐ろしいことであるが、おそらく事実である。原爆の人体実験。
米国は事前に行なった実験(ニューメキシコ州アラモゴードのトリニティ実験場で1945年7月16日実施)で、原爆の破壊力の凄まじさを目の当たりにしたが、これはあくまでも建物や測定器、実験動物から得られた結果に過ぎなかった。しかし実戦において原爆が標的とするのは生身の人体に他ならないのである。もっとも恐ろしいのは、彼らが手中に収めた、世界を滅亡させることすら可能な悪魔の火、彼らはこれを実際の生きた人間に使ってみたくて仕方がなかったのだ。
米国はなぜ日本に原爆を投下したのか。
ReplyDeleteこの問いに対する米国自身の回答はすでに百万回も聞いている。すなわち「原爆の使用によってこそ、この泥沼化した戦争は終結し、よって1億玉砕の運命にあった日本国民も、また我らが勇敢なる将兵も併せ、膨大な数の尊い人命が救われたのである」と。
たしかに、終戦間際の情勢を表面的にみれば、連合国から7月26日に発表された「ポツダム宣言(降伏条件の提示)」を日本政府は黙殺し、故に連合国側は、日本の意思を「あくまでも徹底抗戦の構え」と受け取った風があった。
ただ、文書に返答しないのも、それは外交手段なのであって、もちろん日本政府の意図は別のところにあった。実際は、これよりもかなり早い時期から、天皇を中心とした終戦工作は超極秘裏に進められており、そもそも20年の4月に発足後、そのまま終戦を迎えることになった鈴木内閣とは、戦争終結を目論んで組閣されたものである。そのもっとも重要な要となる、首相、海相、陸相の人選には天皇自身の意思が相当深く係わってもいた。
いずれにせよ、米国が着々と原爆投下の準備を進めるあいだ、日本政府も着々と戦争終結に向けた準備を進めていたわけで、従って、戦争を終わらせるには原爆の使用しか有り得なかったと云う米国の主張には、やはり相当な無理があると云ってよい。
8月9日深夜から行われた御前会議(この時は、閣議と最高戦争指導会議の代表者によった。参加者は、鈴木首相、東郷外務大臣、平沼枢密院議長、米内海軍大臣、阿南陸軍大臣、梅津陸軍参謀総長、豊田海軍軍令部総長の7名および天皇)では、ポツダム宣言の受諾すなわち日本の無条件降伏が、天皇の聖断と云う形をもって最終決定されたが、これは天皇、鈴木首相、米内海相らによって綿密に練り上げられたストーリーに沿った結果(ぎりぎりの線ではあったが)である。その強力な追い風となったのは、3日前の広島および御前会議に先立ち開かれた最高戦争指導会議の最中に初報が入った長崎の被爆よりもむしろ、米との和平仲介役として最後の望みを託していたソ連の寝返り(参戦)の方であった。
それは、この時点ではまだ広島・長崎の被害状況が正確に把握されなかったこともあるが、じつは終戦を画策する側にとっての、”ほんとうの敵”とは、1億玉砕を叫ぶ軍部およびそれに踊らされた国民の方だったのである。彼らはたとい日本全土が原子爆弾によって壊滅しようとも、決して戦争を止めると云わない。
歴史に”if”は禁物と云うが、この時期の日本はまさに”if”のカタマリであった。先に”天皇を中心に終戦工作云々”とのべたが、陸軍部内には、その天皇を暗殺しようと云う計略すらあった。彼らにとって重要なのは、”国体”であり、”皇統譜”あるいは”三種の神器”なのであって、天皇裕仁個人ではない。従って彼らの考える”愚君”であるところの裕仁は、先代大君の大御心により抹殺されてしかるべきであると。
こういった様々の”if”をすべて乗り越えようやく実現した終戦であった。それを結果論と云うのは易しいが、しかしこれはやはり、天皇・重臣をはじめとする多くの人々がまさに命がけで勝ち取った結果であるに違いない。 米国の主張は、これら”if”のために、不確定に過ぎない”if”を確定し確固たる結果とするために原爆を使用せざるを得なかったのであると。しかし翻って、大都市の中心部に原子爆弾を投下することによって得られる結果はどうであったか? それは一切の不確定要素もない(不発弾の可能性はあるにしても)現実ではなかったのか? つまり十数万の子ども・婦人・老人を含む非戦闘員を、もっとも悲惨な地獄の中で生きながら焼き殺す結果、それに倍する人々から健康な身体も家族も家もすべての夢も希望も一瞬に奪い去ってしまう結果。まったく”if”の存在しない確固たるこの結果を米国は確信した上で、広島・長崎の上空からついに原子爆弾を投下するに至ったのである。
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上では、原子爆弾を投下した理由についての米国の主張すなわち「戦争を早期に終結するため止むを得なかった」は無理があるとのべた。ただ、誤解のないように補足しておくと、当時の状況下ではそれもあながち不当な主張であるとは云い難い。
実際、和平交渉は当時完全に暗礁に乗り上げていたし、日本政府が戦争終結に向け尽力と云えども、それは天皇ほか数人の高官のみが知り得る最高度の機密事項であった。いくら米国の諜報力が優れるとは云え、たとえば天皇と米内海相が直接会話した終戦工作の内容まで傍受することは不可である。なにしろ和平推進派にとっての最大の敵は、圧倒的多数の徹底抗戦派ならびにほぼすべての国民であった。敵を欺く前にまず味方を欺かなければならなかった状況下で、米国が欺かれたのはまず当然の成り行きだったのである。 この補足を前提として、それでもなお言及しておきたいのは、あれから61年を経た現在でも米国がその主張を決して曲げようとしないこと。当時としては止むを得なかった、は譲歩するとして、その後に「しかしあれは誤りであった」と付け加えるのでなければ、「自己主張ばかりの傲慢な輩」との謗りはやはり免れまい。
さて、今回考えておきたいのは、米国が原子爆弾を投下するに至ったほんとうの理由のことである。
先にのべた、戦争を終結させるため云々は、やはり真実を大衆に覆い隠すための口実に過ぎないと考える。当然、その他にもなにか別の理由があったに違いなかろうう、と。
それはおそらく以下の二つで、
まずは、対ソ連戦略である。当時の米国にとって最大の脅威はソ連であった。そうしてそれに対抗できる最も有効な手段が核を保有すること。しかし核兵器の実験データをいくら誇示してみせたところで、相手に与える脅威は極めて希薄であるに違いない。つまり米国は、広島・長崎でその実績を作ることで、ソ連に対し圧倒的優位に立とうとしたのである。
もうひとつは、これは大変恐ろしいことであるが、おそらく事実である。原爆の人体実験。
米国は事前に行なった実験(ニューメキシコ州アラモゴードのトリニティ実験場で1945年7月16日実施)で、原爆の破壊力の凄まじさを目の当たりにしたが、これはあくまでも建物や測定器、実験動物から得られた結果に過ぎなかった。しかし実戦において原爆が標的とするのは生身の人体に他ならないのである。もっとも恐ろしいのは、彼らが手中に収めた、世界を滅亡させることすら可能な悪魔の火、彼らはこれを実際の生きた人間に使ってみたくて仕方がなかったと考えること。けだしそれは確かにあったのだ。